履歴書のようなもの。

 

 

 

1992年9月:東京大学理学部生物学科植物学教室4年生の秋、卒業研究生として植物生態学研究室に配属が決まる。当時助手だった寺島一郎さんと大学院生だった足立直樹さんの指導をうけて、イタドリの地下茎の形態を3つの異なるハビタット間で比較する研究をおこなう。

 

1993年3月:東京大学理学部生物学科植物学教室を卒業、理学士となる。

 

1993年4月:東京大学大学院理学研究科修士課程に進学する。当時助教授だった矢原徹一さんに師事し、駒場キャンパスに通う身となる。フィールド・ワークをやりたい一心で、それまでさして興味がなかった運転免許を取得する。また実家がキャンパスから遠いことを理由に、四畳半のアパートで念願の1人暮らしを始める。フィールド調査は9月から10月にかけて、栃木県日光市にある日光植物園に泊まりながらおこなう。

 

1994年秋:指導教官の矢原徹一さんが九州大学の生態科学講座の教授として、翌春の異動が決まる。どうするかと聞かれ少しまよったが、結局、矢原さんとともに九州大学へ移ることを決意。

 

1995年3月:フジアザミの種子食害の研究で無事に修士号(理学)を取得。

 

1995年4月:九州大学大学院理学研究科(博士課程後期)に編入、生態科学講座の一員となる。

 

1998年3月:同上にて、博士号(理学)を取得。気がついたら種子食害ではなくマルハナバチの訪花行動を専門にするようになっており、D論もその話だけでまとめることになる。

 

1998年7月:日本学術振興会特別研究員(PD)として補欠採用が決まり、東北大学理学部の植物生態学研究室に異動。助教授の酒井聡樹さんのグループに仲間入りする。

 

1999年夏:米ミズーリ州セントルイスで開催された国際植物学会議(IBC)のシンポジウムでの講演を依頼された縁で、ポリネーション研究の第一人者、James Thomsonさんとお近づきになる。

 

2001年4月:就職口が見あたらぬまま学振の期限が切れたので、東北大学大学院理学研究科に研究生として入学、ひきつづき酒井さんの研究室に留まる。

 

2001年10月:このままではいけないと一念発起、James Thomsonさんの研究室(トロント大学動物学科)にポスドク研究員として研究留学することを決意。9.11テロの直後、カナダオンタリオ州トロントに渡る。多くの人たちの話す英語が速すぎてまったくわからず、目の前が真っ暗になる。英語の勉強と称し、日本にいる間はほとんど見なかったテレビをほぼ毎晩のように見るようになる。Xファイルの再放送などを観てすっかりハマったが、当初の目的が達成されたかどうかは不明。

 

2003年7月:室内実験に飽きてフィールドが恋しくなり、Thomsonさんにお願いしてRocky Mountain Biological Labで1ヶ月間のフィールド・ワークをさせてもらう。コロラド州デンバー周辺はアジア人がほとんどいないためか、調査をしているとアメリカ人たちに珍しがられ「瞑想中か?」などと聞かれて驚いた。

 

2004年9月:3年間のポスドク研究員期間を無事に終え、日本に生還。帰国直前に筑波大学の講師として12月からの採用が決まったことを知らされる。

 

2004年10月:採用までの2ヶ月間、懐かしい日光植物園で研究生をさせてもらう(舘野正樹さんの研究室)。

 

2004年12月:筑波大学講師として着任。

 

2010年5月:筑波大学国際連携プロジェクトの長期派遣により、懐かしいカナダ・トロント大学のJames Thomsonさんの研究室で、5ヶ月間の研究生活を送る。

 

2017年10月:国際共同研究加速基金(日本学術振興会)の長期派遣により、ドイツ・ダルムシュタット工科大学のAndreas Jürgensさんの研究室で、12ヶ月間の研究生活を送る。

 

2018年10月:独立のPIとして生態相互作用研究室を始動、現在に至る。

 

 

 

それについて誰かに少しでもいいから話ができたらなと彼は思った。

自分で予想していたよりも勇敢に行動できたけれど、自分でそうありたいと

望んでいたほどには勇敢になれなかったことについて。

 -T. オブライエン